安倍晴明と言えば、「京都・大阪を中心とする関西の人であり、関東とは関係ない」そう思ってきました。
しかし、出生地だけでも、
大阪 阿倍野区
奈良 桜井市
香川 高松市
4つの候補地が推定されていた事を知りませんでした。
同時期に、空海と共に唐に渡った、安倍仲麻呂の子孫である、という説もあります。
出生地は、はっきりさせない方が、ロマンがあっていいのかもしれません。
ただ、銚子に伝わる安倍晴明像は、女から逃げ回り、自殺の偽装工作をし、挙げ句の果ては、女を自殺に追い込んでしまうという、俗人以下のものです。
「いくら、なんでも、安倍晴明がそんなことするわけ無いでしょ!」というレベルです。
そういう伝承がある為か、銚子に伝わる安倍晴明像は、不当に過小評価されてきました。
私の住む町内のすぐ近くに、「晴明稲荷」という小さな祠があり、それを目にしていたのに(普段、付近の道はよく通っていたのにチラ見する程度)、特に関心も持たずに子供の時期を過ごしておりました。
安倍晴明と言えば、超有名人なのに!
この事は、一体何を意味しているのでありましょうか?
従来の伝承によれば、そう解釈できます
だから、安倍晴明に対する関心度が、イマイチ低いのです。
また、こうとも解釈できます。
にもかかわらず、「晴明稲荷」が残されているのは、何故か。
延命姫への鎮魂の思い、安倍晴明への畏怖の念が「 晴明稲荷」を存続させてきたのではないのか。
伝承の中身の真偽そのものはともかく、何故そういう伝説が伝わっているのか。
このような問題意識を持って調べていきたい、と思います。
(晴明稲荷の周辺の道路は、道幅も広く、図書館へと続く直線道路。銚子観音の境内にも近く、昔は何かあったのではないかと思わせる)