檀家総代の人によると。
寺には、郡内一の大きな撞き鐘があったが大正年間に処分してしまったことを、残念がっていたそうです。
参籠の日程も終わる頃、参拝客の口から、晴明が近くの真福寺に居ることを、知る。
ここから、またしても延命姫の追跡が始まる。
一足先に、真福寺から逃げた晴明は、飯岡・上永井村(かみなげぇ、と訛る)の方向へ向かう。
この辺り、鎌倉初期の時代までは佐貫城(城主・片岡常春)というお城があったが、潮に侵食され、海中に没してしまい、今はその存在は確認出来ない。
その昔、常春の家臣が砦を築いたという敷地跡に建つ、大きな邸に、晴明は身を潜めることになる。
その邸の主人が、向後主水(乳母・かよの兄)である。
主水は計算高い男だ。この場は、晴明に恩を売っておいた方がよいくらいの判断をしたのであろう。
もし延命姫に家捜しでもされて、晴明が見つけられてはマズイ、と考えた主水は、晴明を奥の間にあった大きな仏壇の中に隠し、外から錠をかける。
晴明の後ろ姿を遠くから発見した延命姫は、主水の邸の玄関先で、晴明の所在を問う。
しばらく、玄関先で押し問答を繰り返していた延命姫は、人間関係を考慮して、家捜しすることは諦めて、晴明を探して再び邸の外へ出る。
その後、主水は自殺の偽装のアドバイスを与えて、晴明を逃がすのだが・・。
これらのことが災いして、後に、主水は延命姫に呪い殺される。
「ゆっくら坂」「帯の坂」「帯の台」「腰掛け石」「たんば坂」「ツガタ坂」などの地名などは、このときの延命姫の追跡劇に由来する。
さて、上永井・通漣洞付近の海岸では、通称「釣りの新兵衛」と呼ばれている釣り人が、釣りをしていた。
釣りをしながらフト見ると、近くの崖の上で、男が着物を脱いで、その脱いだ着物の上に石を置いて、風で飛ばされないようにして、去っていった。
「おかしなことをしているなぁ」と見ているとそのうち、女がやって来て、やや思案深げにしていたが、やがて海に飛び込んでしまった。
新兵衛が吃驚して見ていると、女は海中から頭を出して、抜き手を切って沖合いの方に泳いでいく。
(「抜き手」とは、クロール泳法のように、水中で水をかき、水中から手を出して空中を切って泳ぐ動作。
「銚子娘道成寺」の著者、田中幸次郎氏は、「姫のような高い身分の人が、抜き手を切って男を追いかける、というシーンは「紀州・娘道成寺」の清姫にも共通のものである、としてその関連性を実感している。(「紀州・娘道成寺」では、舟で逃げる安珍を追って、清姫は抜き手を切って泳ぐのである。))
新兵衛の眼にはそう映ったのであろう。この略縁記は、新兵衛の目撃談を元にしているようである。