世界・津波の日(銚子との関連)
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銚子に生まれて育ったのに、知らなかった。
第一、「世界・津波の日」というのがあることすら、知らなかった。
「TSUNAMI」という言葉は、世界の共通の言葉になっています。
どうして11月5日が「世界津波の日」なのか。
その由来に、地元企業「ヤマサ醤油」の創始者・濱口儀兵衛翁が、深く関わっていたとは。
戦前の国定教科書には、濱口翁のことが記載されていたそうです。
安政元年(1854年)11月5日の南海大地震(M8.4)の際、紀州の庄屋・濱口儀兵衛(梧陵)は収穫した「稲むら」に火を投じて急を知らせ、村民を非難させ、大勢の命を救ったそうです。
そのことを由来に、「世界津波の日」が制定されたそうです。
銚子公民館は、濱口儀兵衛翁の寄贈したものです。
私は、単なる、醤油醸造業で大儲けした人くらいの、認識しかありませんでした。
学校で教わった記憶が無いので、知らなかった。
「郷土の偉人」なんだから、それくらい教えてよ。
学校で教わったのは、「戦争を起こした昔の日本人は悪かった」ということがメインのテーマの歴史教育だったように記憶しています。
そのために、「郷土の偉人」は無視されていたのかもしれません。
2011年の東日本大震災では、銚子では目立った被害が出なかったけど、お隣の旭市飯岡では大きな津波被害が出た。
幕末の志士を数多く育てた吉田松陰は銚子を訪れ、その海防警備の貧弱さを嘆いたという。
日本の防衛で大事なのは、軍事力よりも、災害に対する備えと日本人の防衛に対する意識なのだとつくづく思わされます。
ブログ「情熱のソーシャルカメラマン」より