筑波から東庄・銚子に向かう
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「日本名勝地誌」に次の記述があります。
「安倍晴明宅跡長讃村大字猫島の本庄と云える地に在り。・・・ 俚俗伝うる処によれば、晴明は元本郡の人にして、 母を信太姫と称す。三才の時、その母一首の和歌を遺して去り、 遂に狐となる。時に、吉備大臣独り筑波山に来たり、 晴明を見て奇児とし與うるに陰陽書を以ってしたり云々。・・・ 同地に晴明稲荷、葛の葉稲荷、晴明井等を残し・・晴明塚・・ 晴明橋という等・・因縁なくばあらざるべし。」
猫島に残されている「葛の葉狐物語」は、 非常にアッサリ書かれています。
大阪阿部野に残されている「葛の葉狐物語」は、情感たっぷりで、 洗練されていて、何やら人の手が加えられているように感じます。
さて、京の都から筑波山麓猫島(根小島)に戻ってきた晴明は、 土地や景観には覚えがあったが、知る人はいなかった。
それもそのはず、 幼い時に故郷を離れてから40年という歳月が流れているのですか ら。
「銚子娘道成寺」の著者の田中氏は、猫島を訪れて、 多くの遺跡を回っています。
(これは余談ですが、晴明が訪れた当時は、「将門の乱」 の騒擾の跡が残っていたのかもしれません。
通説によると、 朝廷に仕えていた晴明は将門の調伏を祈っていたはず、 と思われますが・・・。
「茨城説」においては、 当時幼児であつた晴明が将門の調伏を祈ることは考えられません。 )
さて、銚子の近くに東庄という町がありますが、 其処に住んでいる知人を尋ねて、晴明は東庄・ 銚子に来たと思われます。
そのルートについては資料がないので、推測になりますが。
昔から、「東国三社」と呼ばれている神社があります。
その三社のうち、最も銚子に近いのが息栖神社です。
私も、かつて訪れたことがありますが、他の神宮と比べると、 だいぶ小規模な神社で、近くは、 かつては湊になっていたようです。
ここから晴明は、東庄に向かったのではないのか、 と容易に想像がつきます。