隠された<銚子の安倍晴明 >

隠された<社会_政治の裏側>・霊的な事柄を考える

基本的には、勉強のモチベーションの向上の為に、このブログを利用しています。 _ 数年前から、国際社会は現代型の”情報戦を主体”にした戦争状態にあります。 _ 今の時代は、新しい地球社会に向けての過渡期にある、と言えます。 _ ところで、西洋占星術的には、情報や霊性等が風のように流れ入る「水瓶座・風の時代」に移行していることが、2020年末からは顕著に表れているそうです。

筑波から東庄・銚子に向かう

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「日本名勝地誌」に次の記述があります。
 
安倍晴明宅跡長讃村大字猫島の本庄と云える地に在り。・・・俚俗伝うる処によれば、晴明は元本郡の人にして、母を信太姫と称す。三才の時、その母一首の和歌を遺して去り、遂に狐となる。時に、吉備大臣独り筑波山に来たり、晴明を見て奇児とし與うるに陰陽書を以ってしたり云々。・・・同地に晴明稲荷、葛の葉稲荷、晴明井等を残し・・晴明塚・・晴明橋という等・・因縁なくばあらざるべし。」
 
以前の記事でも書きましたが、茨城稲敷郡の古名が「信太郡」、霞ヶ浦の古名が「信太浦」(しのだのうみ)と呼称したそうです。
また、陰陽道に深い造詣がある藤原師輔が、晴明に引見した「吉備大臣」であると推定されることも述べました。
猫島に残されている「葛の葉狐物語」は、非常にアッサリ書かれています。
大阪阿部野に残されている「葛の葉狐物語」は、情感たっぷりで、洗練されていて、何やら人の手が加えられているように感じます。
 
さて、京の都から筑波山麓猫島(根小島)に戻ってきた晴明は、土地や景観には覚えがあったが、知る人はいなかった。
それもそのはず、幼い時に故郷を離れてから40年という歳月が流れているのですから。
「銚子娘道成寺」の著者の田中氏は、猫島を訪れて、多くの遺跡を回っています。
 
(これは余談ですが、晴明が訪れた当時は、「将門の乱」の騒擾の跡が残っていたのかもしれません。
通説によると、朝廷に仕えていた晴明は将門の調伏を祈っていたはず、と思われますが・・・。
「茨城説」においては、当時幼児であつた晴明が将門の調伏を祈ることは考えられません。)
 
さて、銚子の近くに東庄という町がありますが、其処に住んでいる知人を尋ねて、晴明は東庄・銚子に来たと思われます。
そのルートについては資料がないので、推測になりますが。
 
昔から、「東国三社」と呼ばれている神社があります。
鹿島神宮香取神宮、息栖神社、のことです。
元・東北大学教授の田中英道氏は、著書の中で、鹿島神宮香取神宮・息栖神社から舟を出した形の「御船祭り」を、今でも盛大に行っていると、述べておられます。
 
その三社のうち、最も銚子に近いのが息栖神社です。
私も、かつて訪れたことがありますが、他の神宮と比べると、だいぶ小規模な神社で、近くは、かつては湊になっていたようです。
ここから晴明は、東庄に向かったのではないのか、と容易に想像がつきます。
 

息栖神社 
 
 
 
 

 

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