隠された<銚子の安倍晴明 >

隠された<社会_政治の裏側>・霊的な事柄を考える

基本的には、勉強のモチベーションの向上の為に、このブログを利用しています。 _ 数年前から、国際社会は現代型の”情報戦を主体”にした戦争状態にあります。 _ 今の時代は、新しい地球社会に向けての過渡期にある、と言えます。 _ ところで、西洋占星術的には、情報や霊性等が風のように流れ入る「水瓶座・風の時代」に移行していることが、2020年末からは顕著に表れているそうです。

歌舞伎「娘道成寺・安珍」のモデルは、希代の陰陽師・安倍晴明であった!?

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歌舞伎舞踊の演目のひとつに、紀州を舞台にした「娘道成寺」がありますが、この物語に出てくる「安珍という若い僧のモデルになったのは、銚子における安倍晴明ではないのか。
「銚子に伝わる「晴明延命姫伝説」の物語が紀州(和歌山)に伝わったからである。」
こう主張するのは、「銚子娘道成寺」の著者、故・田中幸次郎氏である。
 
安倍晴明」の姓名を縮めると「安晴」となる。
「晴」は、中国語読みで「チン」と発音する。
だから、安倍晴明を「安珍」としたのではないか、と推測している。
(晴明が唐に渡ったとの説もあるが、正史では否定されている。しかし、陰陽道そのものが中国にルーツがある。)
 
娘道成寺」と「晴明・延命姫伝説」とは、ストーリーの中身も似過ぎている。(というか、原型のストーリーが、どちらかに伝えられた、と考えた方が自然)
もともとの荒削りなストーリーが、紀州を通じて、芸能の盛んな大阪に伝わり、より洗練されたものになった。
このことは、「葛の葉狐物語り」についても同様です。
そのように考えられます。
 
もともと、銚子の醤油作りは紀州人によって始められたものです。
縄文時代中期の頃、紀州から名洗の浜に漂流してたどり着いた人びと(ルーツは黒潮にのって来た「海の民?」「山の民?」)が、穴式住居から始めた歴史が銚子の歴史の始まりである、という説もあります。
銚子と紀州との結びつきは、相当歴史的に深そうです。
 
さて、「何故、京に居た晴明が銚子に来ることになったのか」から考えていきます。
それは、花山天皇の退位に伴う政変に巻き込まれ身の危険を感じたこと、晴明の生まれ故郷が筑波山の麓だったこと、のようです。(通説によると、大阪誕生説が有力視されていますが、現時点ではその説が確実視されているわけではありません。)
筑波誕生説を調べるには、まず、晴明の母と言われる「葛の葉狐物語り」から調べてみた方がよさそうです。
茨城の明野町には、同じ話が伝わっているそうです。
 
 
ここまで読んで頂いて、ありがとうございます。